涙は暴力的な側面を持つ~ 水の力 ~

「涙」は、場合によっては一方的に他者を隷属させるための表現になり得る。今回はスーパーでお菓子を買って欲しい子どもの事例が出てきたが、この場合も親に言うことを聞かせるための一方的な行動である。ここで子どもが「言葉」で自分のしてほしい事を伝えられるようになると真の意味での子どもと親のコミュニケーションが成立したと言えよう。
大人が同じようなタイプの「涙」を流す場合、会話をするという能力があるにもかかわらず、一方的な手段である「涙」で他者を黙らせようとしていると考える。これは他者の言動を強制する暴力の一種とも言える。
この暴力と言えるような「涙」は建設的な議論を途中で止めてしまう。日々の社会を進めて行くうえでこういった類いはあってはならない。
その一方、「涙」には共感を求めるようなものもある。今回の「ほの」の涙のようなものだ。これはある意味、相手とのコミュニケーションを図っていると言える。お互いに同じような気持ちを持つ場合は両者がともに涙を流す時もある。一人でいる時よりも同じ気持ちを持った仲間と一緒にいる時の方が涙を流しているという経験はないだろうか。


